
司馬遼太郎の著作はおもしろい。それも尋常ではない面白さである。それはなぜか?これは読者一人一人によって違うので一概には言えないが、あえて自分なりに解釈し述べさせていただければ、司馬遼太郎の著作の魅力は、次の3点に集約されるのではないか?
司馬は、西郷隆盛、江藤新平、土方歳蔵、河井継之助は書いても大久保利光や板垣退助、伊藤博文は書いていない。それと太平洋戦争についても著作はない。これは、司馬の感動と無縁ではない。著作の主題となる人物について、不正や秘密めいた部分、行き過ぎた「だます」行為によるくらい部分があると、感動を呼ばない。物事を成し遂げる芯の通った情熱と、侍らしい潔ぎよさからくる哀愁が司馬を感動させ涙させるのであろう。その感動をそのまま小説に仕立てあげ、形になったのが著作群である。読者は、司馬の感動をそのまま感受することができる。
歴史は、ある一点だけを眺めても本質の理解には遠く及ばない。司馬の著作のほとんどは、その人物の幼少期から終末までを題材としている。しかも文中幾度もなく余談と称した歴史的背景の解説が入る。これが、線の歴史である。歴史の線はこれだけに留まらない。空海から日露戦争まで長い歴史を線として描いている。小説になっているのはこの範囲だが、司馬はこのほか、日本の神話から平成の住専問題をはじめとすると土地投機の問題まで常に歴史の中を散歩している。さらには、司馬の在学中の専攻であったモンゴルを始め、インド、中国の歴史も深い造形がある。
これらを数多くの歴史の流れを汲むことで、現存している史実から司馬独特の歴史観(司馬史観)が生まれる。これが読者を魅了させ、歴史の世界に吸い込ませる。
7,80年代の高度成長期、がむしゃらに一筋の雲を追いかけていった日本人の大いなる支えとなり、現在も多くの経営者、サラリーマン、学生諸氏に勇気を与え続ける司馬文学と司馬の歴史上の友人たち。本サイトが、その一端に触れることのきっかけとなればこの上ない幸せである。
平成19年10月5日 WEBマスター ヨータロー